バトンタッチ :: Passin' the torch

私の民よ。私の教えを耳に入れ、
私の口のことばに耳を傾けよ。
私は、口を開いて、たとえ話を語り、
昔からのなぞを物語ろう。
それは、私たちが聞いて、知っていること、
私たちの先祖が語ってくれたこと。
それを私たちは彼らの子孫に隠さず、
後の時代に語り告げよう。
主への賛美と御力と、
主の行われたくすしいわざを。

主はヤコブのうちにさとしを置き、
みおしえをイスラエルのうちに定め、
私たちの先祖たちに命じて、
これをその子らに教えるようにされた。
後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、
彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、
彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、
その仰せを守るためである。

また先祖たちのように、
彼らが、かたくなで、逆らう世代の者、
心定まらず、たましいが神に忠実でない世代の者と
ならないためである。
-詩篇78:1-8
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先日これを読んで再び考えさせられた。
日本人のおれがクリスチャンの両親のもとで育ったことはなぜ珍しいんだろう。
周りにも日本人でクリスチャンファミリーで育った友達はいるけど、
そんなに多くいるもんじゃない。

おれはよく考える。
日本にはもっとクリスチャンファミリーが必要だ、って。
贅沢な願いに聞こえるかもしれないけど、
自分の人生を振り返ってみるとそう思う。
子供の時から通っていた教会。
紙芝居やお話しで聞いた聖書の物語の数々。
教会の小学生クラスのみんなと行った夏のキャンプ。
クリスチャン人口が1%もいない日本の地で
普通に毎週聖書を学びながら育っていた。

それが異常だなんてあんまり考えたことはなかった。
両親はクリスチャン。それが普通だと思ってた。
両親がクリスチャンだからこそ今まで受けた恵みは大きかった。

だから、自分もクリスチャン家庭を築きたいって思う。
(いや、まぁ、このままクリスチャンライフを歩み続けたらそうなるんだろうけど、、、)
でもマジでそう思う。

前回の書き込みはリバイバルについてだったけど、
リバイバルのために祈ることはとても大切だと思う。
もちろん、今の日本を見捨てるわけにはいかない。
しかし、新しい世代、NEW GENERATIONに期待しても良いはず。
これからおれらがつくりあげていく家庭、
おれらに与えられる子供たちに期待しても良いはず。
おれは、今の日本で、そして海外で、
日本人のクリスチャン家庭がたくさん増えることを願う。

リバイバルって、Fijiで起こったようなことだけじゃなくて、
日本人クリスチャンたちの間でも、クリスチャン家庭について、
結婚について、そして恋愛についての考え方が
変えられることもある意味リバイバルだと思う。
そして、今の日本はそのリバイバルを必要としている。

「イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じて言った。
 『カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。』」
創世記28:1
 (カナンは、イサクとヤコブにとって異国の地。)


ぶっちゃけ、クリスチャンと「まだ栗」が付き合ってもいいとか、
結婚してもいいとか(ウソだろ!?!?)、納得いかない。

「でも、その人と付き合うことによってその人がクリスチャン
になるかもしれないじゃない?それが御心かもしれないじゃない?」
よく聞く。
でも、それってほんっっとうに神様が御言葉を通してあなたに語ったこと?
それって、付き合わないとできないこと?
その人がクリスチャンになるのはその方法しかないってこと?

あなたがその人を本当に愛しているなら、
付き合わなくたって純粋な想いでその人に伝道できるはずだ。

あなたがその人を本当に愛しているなら、
今付き合わなくたって、その人が信仰を持つまで待てるはずだ。

「ヤコブはラケルのために七年間仕えた。
ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。」

創世記29:20


まだ栗との付き合いって、本当は御心なんじゃなくて、
個人的な肉的や性的な必要・渇きを満たしているだけなのでは?

確かに、クリスチャンとの付き合いで信仰を持つ人もいる。
まだ栗と付き合っても・結婚しても、その人が後に信仰を持ち、
素晴らしいクリスチャン家庭を築くことができる。


しかし、それは、たまぁぁぁぁぁーーーーにしかないケース。
しかし、それは、神の御業であり神の恵みのみによること。


人は大抵弱いもので、肉的や性的な誘惑に陥りやすい。
クリスチャン同士の恋愛関係ですら難しいのに、
まだ栗と付き合って簡単に勝利を得られると思うのは大きな間違いだ。


だからさ、
みんなつくりあげていこうよ。
クリスチャン家庭。
忍耐と希望を持って歩み続けようぜ。
御心なら、必ずふさわしい相手が与えられるから。
主に期待して耐え忍ぶ者には、
想像できないほどの祝福が待っているから。

「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、
私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。
また、主が彼になさったことの結末を見たのです。
主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」

ヤコブ5:11


* * *

上記は、個人的な攻撃ではありませんので、ご了承ください。
あなたとイェス様との関係がより強められ、御心にかなった、幸せでヘルシーな恋愛関係が築き上げられることを祈りつつ。。。
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# by sacredspace | 2005-10-07 21:24

リバイバル downunder... and beyond!

ミクシィで書いた日記だけど、思ってた以上に深い内容になったのでここにもポストすることにしました。コメントは神戸に住む未歩より。未歩、コメントをここでもシェアさせてくれてありがとう!
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さっき始めて知った!!!
今、フィジーでリバイバルが起こっている。実際には数年前から。
それは「トランスフォーメーション」と呼ばれており、祈りで始まったという。

>>http://www.calebproject.org/main.php/missions_catalyst_e-magazine/drugs_destroyed_in_fiji_revival
>>http://cbn.com/CBNNews/CWN/100104fiji.asp
>>http://www.praise-jp.com/store/video.html

すごい。ハレルヤ。。。

== コメント :: 未歩より ==
まっきー&この日記を読んでる皆様へ、

あのね、実はそのFijiと近隣の国々でリバイバルが本当にすごぉーい勢いで起こってるの。 で、実はね、先週と今週Fiji, Banuatu, Papua New Guiniaからうちの教会に有名な牧師が来てくれて証をしてくれました。 アメリカで聖会とかやったら何百、何千って集まるようなすごい牧師がうちの教会に来てくれたの。それだけでも奇跡ー!!!!きゃー!!!

2週に渡って3人の牧師が証やメッセージをシェアして下さいました。 今その国々では人々が悔い改めて主に立ち返ることによって『地の癒し』がおこってるんです!!!!! 40年以上毒しか流れてなかった川がきれいになってその川の水を飲んだ半身不随だった婦人がいやされたんだって。 荒地に草が生えてオレンジが年に4回も収穫できるようになったり。 砂地から血がでてきたり雲の柱が現れて人々が悔い改めて主を恐れるようになっておまじないがなくなったり。 証はつきないくらいたくさん! 第2歴代誌7:14が本当に実現されてるんだって繰り返し語って下さいました。

でもね、3人の先生たちが共通に言っていたことがあったの。そのメッセージは私にとってはすっごいショックでした。それは、「リバイバルのため、トランスフォーメーションの為に祈らないでください」っていうメッセージ。第2歴代誌7:14にもあるように順番があるんだってきがつかされた。その牧師は「まずは人々が悔い改めて神様に立ち返ることを祈って下さい!それがメインコースです。リバイバルやトランスフォーメーションは人々の悔い改めについてくるサイドミールなんです。」って。

フィジーやバヌアツ、パプアニューギニアで始まったトランスフォーメーションは若者たちがずーっとマリファナを育てていたのを神様に出会ったことをきっかけに悔い改めて$11Million分くらいのマリファナを自分たちで抜いてその村の村長の前で燃やして悔い改めて、そしたら村の人々が救われて、そしたら地の癒しが起こって…。ってもう声が出なくなるような証とメッセージ!

すごかったです。これが日本で起こったらどんなことがおこるんでしょうね?きっと日本の「地の癒し」はフィジーとかとは違った形で祝福を受けると未歩は思います。でもそれがどんなかはわからないからとりあえず祈ろう~!

まずは日本の人々が自分の罪に気がつき神様だけが道であり光であり真理であることを認め、悔い改めるためにクリスチャンが一致して祈る必要があると思わされました。

日本にいる方々、昨日からその先生方は滋賀県の大津バプテスト教会に行かれました。これからのスケジュールは私は知りませんが興味のある方はホームページにアクセスして問い合わせてみて下さい!

長くなってすみませんでした。
でも本当にすごいんですぅぅぅ~!!!!!

== RE:コメント :: まっきーより ==
未歩!!素晴らしい報告をありがとう。大阪に住んでる友達からもそのようなことを聞いたよ。そこの教会には、“海は鳴りとどろけ”(Let the Sea Resound)ってビデオ(3つ目のリンク↑)を製作したジョージ・オーティスJr.師がこられたみたい。本当にすごい!!!しかも、日本では結構話題になってるみたいやね。おれは昨日まで聞いたことなかった。他にも、アメリカに住んでる友達も知らなかったみたいやし。

下記は友達の教会の先生からのメールの一部。
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ジョージ・オーティスJr.師が何度も強調したのは、「神の臨在」。神への飢え渇きと切なる祈りがあってこそ臨在は与えられ、その臨在がすべてを変えていくと説明した。また、「多くのトランスフォーメーションが、6人以下の人々が祈り始めたことで始まっている」と語り、神の訪れを切に求める少人数の祈りが大きな鍵を握っていることを示唆した。
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特に、6人以下の人々が祈り始めたことで始まったってことが衝撃的だった。それは、こういう証しを始めて聞いたからではなく、何度も聞いているから。アメリカでもイギリスでも他の国々でも、数々のリバイバルが記録されている。(個人的にはいろんなメッセージを通して聞いた事しか知らないが)しかし、それらのリバイバルの始まりは決して大げさなものではなかった。本当に数少ない者たちが集まり、神の臨在に飢え渇き、一つの心を持って必死な思いで神に祈り続けたとき、御霊が大きく働かれた。

昨年の夏クワイヤーミッショントリップで日本に行って帰って来たとき、いつか日本に住む時がきたらその様な祈りの集いをもちたいと思った。同じ熱いパッションと飢え渇きを持った兄弟姉妹たちを集めて。数は少なくても祈り続けたい。マタイ18:19、20を信じて。

「主は仰せられた。『あなたは、自分で骨折らず、
育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこの
とうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、
この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。
そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、
数多くの家畜とがいるではないか。』」
ヨナ書4:10、11
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# by sacredspace | 2005-10-05 04:33

「徳を高める」

金曜はいろいろあったなぁ。
でも金曜の授業はないから、実際は夕方まで暇だったのだが…(^^;)

TESOLを専攻する者として、フライデーの前のEnglish Conversation Classに参加できて良かった。最初は、ECCに参加するより、授業のリサーチのためにそこに集まる日本人の学生たちからデータ集めをしたくて行ったけど、ECCにも参加できて本当に良かった。

英語を教えることに関してはあまり良く分かっていなさそうだったけど、それでも頑張っていたAPUのアメリカ人達を見て、授業で習ってることをそこで生かしたいと思った。このゲーム、ECCとあんまり関係ないよな…とか感じながら、何かのかたちでそこで助けになれるなら、助けたいと思った。

ECCの後はフライデー!、と言いたいところだけど、今回は、OCの青年が中心にやってる月一の集会「おれんちコースト」に行ってきた。

でもね、正直、迷った。どっちにするか。そのままフライデーに残るか、1時間以上かけておれんちコーストに行くか。フライデーに残った方が楽だったかもしれない。交わりも食事もゲームも賛美も証しも、全て素晴らしい。ロスの地において、とっても素晴らしいミニストリーだと思う。

でも、そこで自分は必要とされていないと感じた。それは、おれが今まで大体何に参加してもなんかのかたちで奉仕していて、急に奉仕しなくてもよい環境に入ったからかもしれない。(もちろん、普通の参加者としてもキリストの模範として影響を与える役割りはあるのだが。)

でも、それだけじゃないはず。

まだちゃんと言ってなかったけど、これからはOrange Coast Free Methodist Church(OC)に通うことにした。教会をOCに決めた時、コリント第一の14章を読んでいた。そこでは何度も、人や教会の「徳を高める」ことについてパウロが語っている。おれは、OCの青年や教会の徳を高めるためにそこに遣わされることを悟った。そこで必要されていると悟った。

だから、おれんちコーストでも必要されていると思った。いや、もしかしたら必要じゃなかったかもしれない。家庭集会だからとてもアットホームで、特におれができそうな奉仕はなかった。それでも、彼らの「徳を高める」ために行きたかった。これから教会で一緒に仕えていく者として、おれにとって彼らは大切なんだってことを伝えたかった。

フライデーのみんな、ちゃんと挨拶もせず帰ってしまってごめんねー。今週は参加できなくて残念だったけど、みんなのことはいつも応援しているよ。みんなの尊い働きを思う度に、主に感謝せずにはいられない。フライデーのみんなも、おれにとって大切な存在だから。

「あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、
教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、
熱心に求めなさい。・・・
あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、
教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。
そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。」
第一コリント14:12、26
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# by sacredspace | 2005-09-25 18:37